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読書日記449

池田晶子『無敵のソクラテス』新潮社 (2010年)

■株式会社講談社

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日記

池田晶子『41歳からの哲学』のつづきと、

アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ『私はゼブラ』と、

その他複数の本をパラパラ読む。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/16/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98448/
https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/16/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98447/

   

人は健康である限り健康であることに気づきにくい。

人は声がある限り声の価値について気がつきにくい。

当たり前。

当たり前のことほど難しいことはない。

どんなに難しい数学の問題でも、問題である限り答えはある。

しかし、「1+1=2」と誰しもが当たり前であることのように分かる理由を解明するのはもっと難しい。

そして、数字という概念がある理由について解明するのはもっと難しい。

その究極が「今、生命が地球にある理由」だろう。

もっといえば宇宙がある理由。

健康でいる時は健康の価値に気がつきにくい。

であるならば、

精神がある時は精神の価値に気がつきにくい。

これはどうなのだろうか。

価値は主観的。

しかし、主観をつかさどる「精神」の価値とはいかほどか。

精神という価値に気がつくことなしに、人は「価値」を判断できるのだろうか。

つづく

公開日2022-05-28

画像引用元:紀伊國屋書店

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784104001064

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