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読書日記546

ダニエル・ミラー『消費は何を変えるのか: 環境主義と政治主義を越えて』法政大学出版局(2022)

■一般財団法人 法政大学出版局

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日記

暑くて思考が働かない。

とりあえず、意識は飛ばしながらもページは飛ばさずに、今日も少しずつ読んだ。

二つの理論が紹介された。

ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』において、消費は「顕示的」であることが示されたという。

それぞれの階級がそれぞれに誇りをもって、半ば見下すかのように消費をしている。

一方、ブルデュー『ディスタンクシオン』においては、消費は「個人の好み」ではなく、「階級」によって左右されることが示されている。

物理的に考えて、貧困層は高級車を乗り回すことはできない。

階級が好みを規定する、というのはややオーバーな表現があるようにも思える。

そもそも「好み」というものは何を意味するのか、と掘り下げてもやはり無限に問いが連鎖するように感じた。

意味のある問いを続けていく必要がある。

例えば本書の重要な部分として、「消費は地球にとっては有害かもしれないが、大多数の人間にとっては有益になる」という命題について多面的に考えることは大事である。

そしてまた、漠然とした問題のどこが不正なのか、そもそも何が問題なのかを考えることも大事であるようにみえる。

経済の活性化⇒豊かになる⇒インフラの普及⇒エネルギーの効率化⇒クリーンな社会

消費が大多数の人間にとって有益になるのは、経済が活性化し、環境問題の解決に繋がる可能性がある側面があるからなのか、消費はそもそも幸福になる条件なのか、富は必然的に幸福をもたらすのか。

なんのために消費するのか。

消費は必然的に道徳的になりうるのか。

新しい資本主義のなかでは放棄できない問いである。

また、切り口が無限にあるようにみえてやや挫折しそうな命題でもある。

公開日2022-07-29

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