■株式会社河出書房新社
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日記
「絶対的な善はない」
ドゥルーズが語った。
やはりそうきたか。
「哲学とは概念の創造をすること」
池田晶子氏の言う通りで、ポスト構造主義は本来の哲学的な営みからはかけはなれている。
善という言葉、悪という言葉が何故分かれているのか。
もはやそのような根源的な問いは忘れ去られている。
「私たちは哲学史に虐殺されてきた最後の世代」
哲学を語るということは、誰が何を考えたのか、それについて貴方はどう思うのか。
そういうことなのだという。
そしてとどめは「ヘーゲルが嫌い」という発言であった。
見事に池田晶子氏と反比例している印象を抱いた。
ジル・ドゥルーズとはそういう人物なのだと思った。
(あくまで「今日の」個人の感想)
哲学というよりかは批評である。
批評理論のコーナーが書店にあるように、厳密には哲学ではない所以ではないだろうか。
「哲学するには現代思想を読む必要はない。」
池田晶子氏はそう語っていた。
批評家になりたいのであればドゥルーズを読むことには意味があるとは思う。
なんのために本を読むのか。
自分に問いかけたい。
結局、自分もこのような本にとりつかれている向きがあるので、自分は哲学など興味がないのでは、という捉え方もできる。
ドゥルーズは読書には二通りあることをのべている。
本には固定された「シニフィエ」として意味が存在し、それを究明する読み方。
もう一方は、本の意味を捉えることにこだわらず、流動性のある世の中のひとつの産物として捉える読み方。
個人的には、流動性あるなかの普遍性に興味がある。
つづく
公開日2022/9/16