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読書日記944

         高橋和巳『我が心は石にあらず』河出文庫 (2017)

■株式会社河出書房新社

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日記

『我が心は石にあらず』は50ページほど読み進めた。

主人公の信藤は哲学書と文学、社会学や経済学などのあらゆる分野の書物をむさぼりつくしていることが描写されていた。高橋和巳文学の主人公は往々にして読書家という側面を持っているところ、どうしてもこれは高橋和巳の分身だと勘ぐってしまう。

ひとまず「戦後のエゴイズムの謳歌には感情的に同調しえなかった」という主人公の心情は執行草舟氏の英米ヒューマニズムに対する嫌悪と同じ匂いを嗅ぎとった。

・・・

『悲の器』の主人公正木は法学部教授でありながら裁判官でもあった。

そして、今日知ったのであったが、正木と全く同じ経歴を持った人物が現実にいた。

ひとまず著者(瀬木氏)の経歴や自伝的な話などをさくっと読みとした。

瀬木氏によれば、彼の親にほぼ強制される形で法学部に入学。大学在学中に一発で司法試験に合格。

もともと法律には強い関心はなかったが、当時、正義感は強かったことを書いていた。

しかし実務を通して裁判所の「全体主義」的な体制にうんざりしきり、正義感はほぼ消滅してしまったのだという。

正義感というものについて考えた。

これは、ある意味では偽善性を帯びたエゴイズムと言える。

正義感が強いYoutuberの動画を観ると(令和なんとかさん、新宿なんとかさん)、気持ちは分かるのだが実践に傾斜しがちに見える。

勿論実践がなければならないのだが、裁判所であっても正義感がうまく機能しない現実を深い次元から考えることも大事だ。

結局のところ、これが極端な形になるとプラトンの哲人国家になるわけであるが、やはり正義感が強いのであれば自身の悪、人間の悪の本質を研究すべきではないか。

ここが正義感の強いYoutuberに欠けている点に見える。

法律の専門家ではない自分が言うのは説得力に欠けるが、「秩序維持のため」という側面を持つ法をどんなに研究しても、それは結果的には秩序が維持されるかもしれないが悪についての根本的な解決にまでは至らないようにも思えるところであった。

秩序が維持されれば十分だ、ということであればそれはそれでいいのであろうが。

公開日2023/2/24

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