閉じる

読書日記956

         池田晶子『新・考えるヒント』講談社(2004)

■株式会社講談社

公式HP:https://www.kodansha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/KODANSHA_JP?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/07/07/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98955/

   

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日記

時間がないので短めの日記で終わらせたい。(毎日日記を書くことだけはやめない)

池田晶子は物事を考える際、わからなくなるときが来て当然と語る。

私は本を読めば読むほど自分が無能で無知であることが屈辱的であったが、それは自分がいかに傲慢であったかを思い知ることができた良い機会であったと今では思っている。

「能率的であることが合理的であると思い違いしているように思われる」

と、池田晶子は合理主義的な(執筆当時の)世論を切る。

遠回りは近道。

3年くらい前にこのブログでそう書いた記憶がある。

わからなくなることはソクラテス的には正しいのである。

無知の知。

無知の知とは傲慢から脱出することである。

無知を自覚せぬものは傲慢である。

公開日2023/3/8

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free