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つづきをよみすすめた。
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日記
政治に対する考え方において、カントとプラトンの考えに違いがあることが分かった。
プラトンは哲人による統治を理想としたがカントは民主的であると書いてあった。
カントはリアルタイムでフランス革命が起きていたので政治に対してなにか思うところがあったのか、分かりかねたが、池田晶子があまりカントに言及していない点からも、両者はどこかで枝分かれしているのかもしれない。
・・・
カントの生き方についてひとつ学びがあった。
カントは私的理性と公共的理性とを区別し、組織においては自由などない、と述べた。
しかし一方で、勤務が終わったあとは組織に対して批判をすることを禁止してはならない、と述べている。
プラトンとは違い、絶対主義的国家を拒否していると書かれていた。とはいえカントはプラトンを愛しているとも述べている。
・・・
『美学』を150ページほど読んだが混乱してしまったので『美と倫理とのはざまで』を読み、再度整理した。
書くことで記憶に定着するので書き残す。
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メモ
“快適なものであるなら、ひとを「満足」させるものである。善いものであるとすれば、「尊重され、是認される」ことだろう。美しいものは、これに対して「たんに意にかなう」ものである。” P19(『美と倫理とのはざまで』)
有用=善い=「手段」として意にかなう
適意・・・快の一種。意にかなうこと。(ゲフアレン)
“美はそれ自身としては善ではなく、倫理でもない” P19 (『美と倫理とのはざまで』)
■趣味判断、4つの観点
量・・・美しいものは誰にとっても美しいものでなければならない
質・・・善いものをめぐる判断ではない
様相・・・美しいものは適意に対して必然的に関係がある
関係・・・美しいものは目的が不在なままに合目的的である
合目的性とは
目的とは、「概念」がその概念の対象の「原因」であると見られるかぎりでの、「概念の対象」のことであり、「合目的性」とは、その概念が「客観にかんして有する原因性」である。
■直感的判断とは(=直感とは)
概念に裏打ちされた論理的判断ではない判断
■趣味とは
「美しいもの」を(直感的に)判定する能力
■カントによる美の定義
“「美とはなんらかの対象の合目的性の形式であるが、それは当の合目的性が目的の表象を欠きながら、その対象について知覚されるかぎりのことである」” P30 (『美と倫理とのはざまで』)
趣味判断に関して
→カント「関心を欠いたものでなければならない」
“目的は、対象が意にかなうことがその目的を根拠とするものであるならば、つねに関心をともなっている” P29 (『美と倫理とのはざまで』)
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趣味についてふりかえる。
例えば趣味が野球ゲームであった場合、それは万人にとって「美しい」ものだとは言えない。がしかしそこには「快」がある。でなければなんのための趣味だろう。
快と美を明確に分けるものは何か。
そこがまだ分からない。
快は必ずしも美ではない。
しかし万人が認めうる美など存在するのだろうか。
そしてのちには美学と倫理の結合点を見極めたい。
公開日2023/3/10