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日記
この本には三島由紀夫の思想が詰まっているように感じた。
何故文学をやるのか。芸術をやるのか。三島由紀夫は自己規定の仕方について以下のように語った。
“おれは自我があるなんて信じたことはないよ。形式ということを考えている。フォルムがあれば自我だ。フォルムは個性でも何でもないんだ。フォルムがあればいいんだ。” P166
(神なき時代の生き方に関して)
“そういうフォルムと自分を同一化することにしか、つまり自我を持つことができないんだ” P167
ジラールは、芸術は神に対する模倣だと述べた。
三島由紀夫は複雑な人間であるが、トーマス・マンに傾斜している点、武士道を貫徹した点からすればこの「同一化」と神に対する模倣(≒神と同一化)が等価に思われた。
また三島由紀夫は、芸術は伝承され得る「形」を持たなければならないことを語った。
このあたりはいろいろと考えさせられた。
そのあとは政治や言論の自由、戦争について語られた。
三島由紀夫は歴史の連続性というものを非常に重要視している点が読み取れた。
改憲をしてまでも、天皇を象徴という存在から従来の形に戻すべきだと語る。
いろいろと考えさせられた。
また、この対談をしている時点でもう死ぬ覚悟にあることを自ら語った。
三島由紀夫の保守的な考えは、小室直樹と共通するものがある。
政治経済は宗教とイデオロギーと切り離せない。
例えば、なにか不祥事を起こした際に辞任したり自殺するのは、おそらくは武士道の名残りである。(あくまで持論)
日々刻々と変わる数字だけを見て帰納的に分析することだけでは見えないものが必ずある。
そういうものを理論的、体系的に説明しようとしたのは小室直樹であって、三島由紀夫はおそらく間接的に表現した芸術家であった。
そういう意味では経済や政治のことしか語れない人間はまず疑うべきである。
数字に強いだけで経済評論家を自称する人間が多かれ少なかれマスコミ界隈に蔓延っているように思われる。
三島由紀夫は言論というものを、覚悟を持って行うべきだとかたる。
“私は、言論というものは同じもので、何千万人相手にしても、俺一人だというのが言論だと思うのです” P187
言論活動を安全地帯から行うことに対する、おそらく知識人への批判のように思われた。
“民主主義は妥協が原則だといいますが、相対的な理論闘争の中で、自分がそれをある程度本当に信じて邁進する人間がいなければ、いまの自民党と社会党みたいなことになっちゃう” P192
武装解除時の満州でロシア軍に日本刀を持って突撃した一人の人間のエピソードが語られた。
三島由紀夫はよくもわるくも、純粋な人間だと感じた。
その後も深い話がいろいろと語られた。
つづく
公開日2023/3/16