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読書日記971

         執行草舟『生命の理念 Ⅰ』講談社エディトリアル (2018)

■株式会社講談社

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その他数冊

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/07/07/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98928/

  

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日記

パルメニデースと3時間格闘したが全く理解できなかった。

諦めて池田晶子の本を読むことにした。

仕事がない日は堕落しがちであるため、雨にも助けられひたすら修練することにした。

今回のテーマは「魂」であるが、どうしても宗教と話が結びつきがちである。

日本人の99.99%の人には宗教の本質はもう理解すらされないと感じているので、今後一切、宗教のことはこのブログでは書かないようにしたい。

それと似たようなことを池田晶子も書いている。日本に限らず、世界中でその傾向が強いと思われる。

加えて、たまに宗教絡みの変なコメントが来るのでうんざりである。

人間の宗教に対するコペルニクス的転回とも言うべく態度の変容の弊害については『脱人間論』に600ページにわたって語り尽くされている。

そこを理解できない人間とコメントのやり取りをする気になれないのは当然である。

・・・

おそらく、池田晶子であればパルメニデースをすんなり理解できるはずである。

認識論だとか実在論だとか、現代哲学は何か先へ進んでいっているような気にさせるものであるが、例えば「生命倫理」というジャンルは個人的に学ぶに値しない分野だと思っている。

池田晶子は語る。

結論から言えば、「脳死」という概念は臓器移植を可能にするためにつくられた詭弁であるということであった。

脳だけが「死」の状態にあるとすれば、脳以外は「生体」となり、「生きている身体から臓器を取り出すのはなんてことだ」という話になるので、「脳死」という概念によって脳の死がイコール「身体の死」となり、「死体」から臓器を取り出すことができるようになる、というトリックが隠れているという話であった。

この詭弁の延長線上にあるのが「生命倫理」であると個人的には思っている。

議論されるべきことがもっとあるはずなのに、それをもう解決されたこととして次へ次へと実務的な話に持っていくのである。

しまいには「動物倫理」であったり「環境倫理」である。

これらの分野は明らかにイデオロギー的な匂いがするので立ち読みする気すら起きない。

執行草舟氏のいう「ヒューマニズム」と「科学という形態を変えた宗教」による弊害であるとしか思えない。

その後は「少年A」をめぐる話や、執行草舟氏の本では「個性とはなにか」が詳しく語られた。

例えば「犯罪心理学」なる分野があるが、多少実務になんらかの役に立っているとは思われるが、それでも「少年A」の心理や、近年では小島一郎の心理など到底理解できるものではないように思われる。

それは物質から物事を理解しようとする科学の限界であると思われた。

執行草舟氏と池田晶子は科学至上主義に毒されていないので、混迷の21世紀に光輝いて見えるのであった。

公開日2023/3/26

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