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メモ
“物質から生命へ、そして絶対理念へ至るまでの『大論理学』の叙述を、今この文脈において詳細に追うことはできない。必然的に辿られる意識の事実であるとのみ、述べておこう。なぜならば、「天上と天下とのいずれを問わず、有と無との両者をその中に含まないものは存在しない」からであり、そして「純粋な直感と純粋な思惟とは全く同じものである」からである。” P42 (『事象そのものへ!』)
”芸術とは何かという議論には明らかに矛盾した見解が存在する。そのために、永遠に変わることのない芸術の定義を構築することはできないのである。” P29 (『金と芸術:なぜアーティストは貧乏なのか?』)
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日記
ジャズは初め、芸術とは見なされなかった。
しかし今では芸術として捉えられるようになったとされる。
そのため、芸術とは人が芸術と呼ぶものが芸術である、という答えが出てくる。
そのような話から始まり、だらだらと読んでいくと、芸術と贈与に関する話に移行していった。
経済学者でありながらアーティストでもある著者によれば、芸術のマーケットは例外的な状態にあるとされている。これはいろいろな意味を含み、贈与で成り立っているという側面、投機として高額で売買されるという側面など、多岐にわたる様々なトピックがあり、読んでいて面白い。今日は100ページ弱読み、いったん本を閉じた。
神社に参拝し、賽銭を投げる文化のある日本と、「神聖な」芸術作品に対して寄付を行う海外の企業(あるいは政府)の両者になんらかの心理的な共通点を感じた。
・・・
芸術は「鑑賞」されるものであるが、文学は鑑賞されない。
読書は能動的な営みであり、本は鑑賞され得ない。
芸術作品は投機の対象となるが、文学作品は恐らくほとんどない。
あるにせよ、現代作家の作品が投機の対象にはなり得ない。
これは本が複製技術によって生産されることによる。
芸術作品と文学は以上の観点からも特徴が異なることが分かる。
なにせ、文学作品は最低でも読みきるまでは価値が分からない。
すると、お金に目がない合理的な人間はその時間ですら損失だと考えるかもしれない。
あるいはその読みきるまでに費やす時間と対価を天秤にかける。
一方で、芸術作品に対する価値判断は文学作品のそれとは全く違う。
時間は無限にない。有限のなかで最小の労力で最大の利益を、と考えるホモ・エコノミクスは、文学作品を損得勘定で見る限りにおいては、リスクが大きいと考えるのだろうか。
これが、今日の書店が厳しい戦いを強いられる原因なのだろうか。
・・・
人は得られた対価で何を何のために費やすのだろうか。
往々にしてなんらかの「目的」はお金という「手段」によって達成される。
そして次の目的が発生し、再び手段が要請されていく。以上、死ぬまで無限反復。
しかし、例えばニュースを見ると実は手段が目的となっているように見えることが少なくない。
本質的には目的などなく、ただ目的だと「思っている」つもりで「目的」という名の手段を「浪費」してはいないだろうか。
これは西部氏が論じているニヒリズムと通ずる。
人はなんのために何を行うのか。それが自分にとって本当に正しいと思えるのか。
この深い問いかけこそが文学作品のなかに詰まっているという事実について彼らはどう思うのだろうか。
公開日2023/4/2