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読書日記1173

             筒井康隆『小説のゆくえ』中公文庫 (2006)

■株式会社中央公論新社

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日記

『虚人たち』は200ページまで読み進めた。

明日感想を書きたい。

筒井康隆氏の『小説のゆくえ』は、薄利多売でしかない小説・文学のあり方が語られた。

もはや真の文学だけを求める人間のためにだけ書くべきであるという、至極全うな評論であった。島田雅彦氏についても語られ、革命と文学についていろいろと書かれていた。

島田氏の小説は『パンとサーカス』を含めて二冊読んだが、自分は島田雅彦氏のような左翼的な小説はどうも好きになれない。

・・・

『人間になるということ』を読んでキルケゴールの価値観が浮かびあがってきた。

執行草舟氏に通ずるものがある。また、この本の著者である須藤氏も同じような価値観を共有しているように思われた。そして個人的に共感できた。

“真理がないところでは、人間の感じ方と現状が基準になってしまう。” P58

と著者は語る。

深いところで小室直樹のいう「アノミー」と繋がっているように見えた。

“真理の基準が超越性の次元に置かれるのか、あるいは内在性の次元に置かれるのかという違いは、聖と俗の配置の違いとしても現れる。” P59

現代は後者で、人間は科学という名の宗教に陥っているように見える。

科学が間違っているというのではなく、暴走を止める存在が外側にいないことから起きる問題については、執行草舟氏『現代の考察』で余すことなく書かれている。

(キルケゴール)

“人間のうちなる美的なものによって彼は直接的にそうであるものであり、倫理的なものによって彼がなるところのものになる。” P78

カントとキルケゴールがここで交差した。

「 美学 ≒ 倫理 」

キルケゴールは絶望、絶望、不安、不安というイメージしかなかったが、自由について考え、人間の道徳法則について考え、崇高なものについて深く考えていたのだと想像できた。

“絶望は、人格形成が滞るために生じるのであり、整合的に思考し損ねることによって起きるのではない。人格形成という作業は、懐疑を経て思考し、真理の体系を構築する作業とは別のものである。” P83

哲学、宗教社会学、文学、芸術についてカント、キルケゴール、小室直樹、執行草舟氏の本からいろいろと関連性を読み取ることができた。

つづく

公開日2023/10/19

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