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新・読書日記131

      ドストエフスキー『悪霊 上』岩波文庫(1989)

■株式会社岩波書店

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            沼野充義『徹夜の塊3 世界文学論』作品社(2020)

■株式会社作品社

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日記

『悪霊』がしばらく書店の岩波文庫の棚から姿を消していた。新潮社のものを買うといつも積読になってしまっていたので、次は岩波か光文社古典新訳にしようと考えていた。しかしブックオフに行っても悪霊は品薄なのか、どこのお店にも置いていなかった。光文社古典新訳は予算的にちょっと厳しいかなと思いつつ、そうして探しあぐねているうちに、なんと重版が決定していて気がついたら書店に置いてあった。(ついでにポール・ヴァレリー『精神の危機』も購入)

これは何かの縁だと思い、読むことにした。こちらも2か月くらいかかるだろうと思い、ゆっくりと地道に、時には考えながら読んでいこうと思うに至る。

加えて、ドストエフスキーをいまだに一冊最後まで読み切れていないので、山城むつみ『ドストエフスキー』も積読になっている。

  

とりあえずドストエフスキーの『悪霊』を読んで、そのあとはゴーゴリ『死せる魂』など、ロシア文学にも浸りたい。

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『徹夜の塊3 世界文学論』

文学作品の批評や評論はときに自分を萎えさせるが、作品の価値を引き立たせ、普及へとつながるのであればそれは有意義だと自分は考えている。また、難解な作品とされているものに関して、批評は読む視点を提供してくれる。なので自分はこういった本と文学を並行して読むようにしている。

  

メモ

“(・・・)いったい文学研究は何のために必要なのか?どんな意味が、どんな利益があるのか?今まで触れないで取っておいたこの問題に、やはり最後にほんの一言だけでも触れないわけにはいかないだろう。ごく常識的に考えれば、それは研究者にとっては、文学作品に隠された構造や意味を見抜き、文学作品をよりよく理解するためであるし、一般の読者にとっては、文学作品をよりよく、より深く、より楽しく享受するためだということになるだろう。” P96

  

テリー・イーグルトン……..非本質主義に依拠(文学作品は歴史的、社会的なものであり、文学の独自性はないと考える立場)

「文学とは、人間と文学表現との関わり方、その関わり方の総体だ」

  

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