■株式会社草思社
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その他数冊
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日記
『原郷の森』
メモ
“親鸞「追従は私は認めることはできない。教義を常に新しく見るということは、決して追従ではない。常に発見だ。追従する弟子は切り捨てた。ブルトンの言うように追従していくことが悪の根源だということが、見えてきませんか」” P129
“コクトーの場面転換のすばやさは凄い” P130
”デュシャン「芸術は持続を証明する」” P139
“モネ「見るということは意識である。それを写すことによって絵が生まれていく。意識化することで、対象を覚えたり、感じたりして、それをキャンパスに写して絵にする。なぜ絵にしなければいけないのか。とYが言ったことがある。自然を描くことは自然の模写ではないか。パクリじゃないか、とYは言ったね。なぜ睡蓮をパクるのか。そして人工庭園を作るのか。結論はそれですんでしまう。芸術にはオリジナリティはないんじゃないか。自分があっちへ行って、歴史の輪廻のパクリ、転生のパクリ、転写といってもいい。世界は微妙に変わっていく、森羅万象も転生している。宇宙という複写機のもとに転生を見ているようなものだ。(・・・)絵というものは自分の全てであって全てではない」” P138
“システマティックの中に近代の持っているニヒリズムとヒューマニズムがある。これが芸術家のパワーだ” P149
“ダ・ビンチ「絵の魅力は集約するとひとつになる。生きていることは物を見て生きていることです。人間は多面的に生きている。考えながら、見ながら、色んなことをしながら。絵は一番人間に近いと思う。人間は何々しながら、何々しながら、という風に連鎖的に休むことなく生きている。その忙しい現実というものを一瞬でとらえる。そこに絵の素晴らしさがある。だから絵は生命感を描かなければならない」” P158
昏い・・・気持ちが晴れない。物事を判断する能力がない
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『欲望という名の音楽』
アメリカに占領されている頃の横浜で起きていたことが書かれていた。
国家的な売春のプロジェクトについて書かれていた。
気になる方は「RAA 横浜」で検索を。
暗い気分になり、本書を閉じる。
・・・
『そうしないことはありえたか?』
本書は後半に入った。
今まで学んだ基礎的な知識から応用へ入った。
理論と理論の組み合わせでどんどん複雑になっていく。
仕事で疲れたあとに読むような本ではなかった。
議論は「自由と決定論は両立しない」vs「自由と決定論は両立する」の応酬がつづく。
メインの問いは、
「決定論ケースの行為者と操作ケースの行為者の間に責任に関する重要な違いはあるか?」
であった。
決定論的世界観における責任の概念と、あやつり人形のように「操作」されている人間が犯した行為における責任の概念には違いがあるか?という、核心をついた議論がつづく。
リアルタイムの話題としては、京アニのケースについて、前者は「責任なし」とみなす理論も存在する。
しかし無理があるようにみえる。
かといって、科学的には自由意志がない可能性が高いかもしれないので、突飛過ぎる馬鹿げた議論であるとも言えない。
世界のパラドックスがここに集約されている感覚を覚える。
あることはないこと。
要らないことは必要なこと。
したいことはしたくないこと。
好きなことは嫌いなこと。
パラドックスは全てをひっくり返す。
面白いテーマである。
公開日2024/1/26