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日記
引き続き3冊を読み進めた。
(読書日記1287に収録)
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『日本人のためのイスラム原論 新装版』
イスラム教徒において、テロと宗教の寛容は両立するというのが小室直樹の見方であった。
テロが即「悪」となるのは世界共通のものではないと小室直樹は語る。
しかし一般的な日本人には受け入れがたい考えだと思われる。
その背景には西洋かぶれのとしての日本というものがあるのではないか、と自分には思われた。
また、中国について理解することはシスラム読解のヒントになるという小室直樹の考えから、次は司馬遷などの話に移った。
昨日はここでストップした。
予め断っておくが、このブログはテロ行為を称賛するものではない。
そうではなく、相互の対話が不可能となっている今日のあらゆる対立について、建設的に考えるためのヒントとして宗教史を読解すること。以上を主な目的とする。
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最初に結論から書いておくと分かりやすいかもしれない。
抽象的になってしまうが、歴史が「不変」か「可変」か。この見方がアメリカとイスラムに分かれ目をもたらしている。
歴史が不変だという見方は、予言者がもう現れないことを意味し、その分、歴史において「連続性」というものが重要視される。
歴史が「非連続」か「連続」かによって、「革命=revolution」の意味が変わる。
非連続の場合、revolutionは「前代との断絶」を意味し、連続の場合、革命の意味は「秩序の維持」となるという。
西洋がなぜ「可変=非連続」なのか。
それは「予言者」が次に現れるかどうかで決まる。
イスラム教はアダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、マホメットと、6人の予言者がいるが、マホメットが「最後の予言者」となっている。
細かい点についてはまだまだ勉強したてなので理解できていない。
ひとまず押さえるべきポイントだけ押さえるように努めている。
「最後の予言者」という考えがキリスト教とユダヤ教にはないのだという。
“このような考え方は、もとよりユダヤ教やキリスト教には存在しない。” P273
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話を中国に戻す。
小室直樹は、歴史に名を残すことの困難さを語った。
“中国における歴史家とは、単なる記録者や好事家(ものずきの人)の謂いではない。歴史の重さを知り、歴史に殉じる覚悟を持って、はじめて彼は史家になれる。そのことを斉の太史一族の物語は教えてくれる。まさに中国における歴史家とは、苦難の道を歩む予言者にそっくりではないか。” P261
ナチスドイツ下の状況と照らし合わせると分かりやすい。
統治者にとって都合の悪い事実は焚書によって抹殺される。
記録に残そうとしても、見つかった場合は処刑される場合、いかに記録を残すのが困難なのかは想像できる。
小室直樹はつづけて述べた。
『プルターク英雄伝』、ヘロドトス『歴史』、ギボン『ローマ帝国衰退史』には「刺客こそ正史に刻むべき人物である」という考えが一切見受けられないという。
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西洋の歴史観が「可変」なのは、カール・マルクスがその代表例だとされる。
“マルクスの考える歴史とは、さながら階段を昇るがごとく変化していくものであった。彼によれば、人間の社会は原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、社会主義、共産主義と直線的に進化する。そして、その進化に伴って歴史や社会の法則もまた変化する。資本主義時代の法則は、社会主義時代には通用しないというわけである。こうした歴史観の中からは絶対に「古をもって鏡となす」という思想は生まれてこない。” P264
“ユダヤ教の思想を引き継いだキリスト教においても、歴史とは神が作るものであった。” P266
ヘーゲルは中国の歴史観に驚き、「持続の帝国 Ein Reichder Dauer」と名づけた。
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ジハードについて
“個々人のムスリムが勝手に「この戦いはジハードだ」などと決めることは許されない。あくまでもイスラム法学者がコーランやスンナなどに照らし合わせたうえで、ジハードの決定を下すことが必要とされる。” P287
しかし、法学者が気まぐれで「これは聖戦だ」とみなされる可能性について、小室直樹は否定しない。
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ここまで読めば素人でもある程度はイスラム教徒のエトスを理解することができる。
それは、イスラムの戒律を破ったものは許されないということ。
裏を返せば、イスラムの戒律を守っている人間に対してはテロ行為は行わないということである。
テロ行為はただの気まぐれで行われるわけではない。
戒律と照らし合わせれば、どの点が許せないのかがわかるという理屈になる。
この点に関しては、気まぐれで他人を巻き込んで自殺行為に走る迷惑系の「無敵の人」と大きく異なる。
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以上を踏まえ、小室直樹は「反米感情」というものが日本人のそれとは大きく違うことを語る。
(黒船⇒1853年、第一回十字軍1096~1099年。700年もの差がある)
また、「世界史」という学問の不完全性について小室直樹は指摘した。
“アラブ人がコーランの教えを受けるや否や、東は中央アジア、西は遠くスペインにまで、あっという間に征服しつくした” P292
“このアラブの戦いに限って、そうした合理的説明を見いだした学者はいない。いわゆる実証主義では、アラブの急速な拡大は理解できないのだ。” P293
“マホメットの死からウマイヤ朝全盛までの期間は、わずか一世紀半しか要していない。この事実だけを見ても、当時のイスラム社会が持っていたパワーの大きさが想像できるだろう。” P299
つづく
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『漂白のアーレント 戦場のヨナス』
第二次世界大戦後、ドイツに帰還したヨナスの状況について語られた。
ナチスによってめちゃくちゃにされたドイツが破壊され、多少の安堵はあったのかもしれないが、母親が消えてしまったというあまりにも残酷な状況にヨナスは精神的に参ってしまったのという。
一瞬でも母親のことを想起させられる瞬間があればむせび泣いたというエピソードもあったのだという。
子供ができたヨナスはゲルショム・ショーレムに教授のポストを用意されるが、エルサレムに戻る気はなく、二人の関係は終わってしまったという話が紹介された。
すべては子供のため、という姿勢が垣間見えた。
そしてアメリカに亡命したハンナ・アーレントと再会。
ここまで読み進めた。
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『モニュメント原論』
メモ
小田原氏による日本の美術教育批判
“長崎の彫刻を初めて見たときに感じたのは、強烈な恥の感情だった。被爆証言者の体験はひとりひとりまったく別のものである。にもかかわらず、爆心地の彫刻はそれらにふたをし、原爆による死と被害を国家のための「犠牲」として一元化し、正当化する装置として機能している。” P70-71
つづく
公開日2024/2/10