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日記
ブックオフが本全品20%オフということで、寄り道をした。
予想通り、せどりがいた。一冊一冊の本を読み取って相場を確認しているのだろうか。普通にバイトしたほうが効率が良い気がするのであるが、どうなんだろうか。
哲学書、文学書をごっそり取られると萎えてブックオフから出たくなるが今回はビジネス書を中心に読み取りまくっていた。
最近はBOOKOFFの値段が高いと感じている。部分的には、20%オフでようやく普通の古本屋の価格という現実を自分は知ってしまったので、そこまで本を物色する意欲もわかず、少しだけ本を買って帰った。
自分はせどりの社会的意義を考えさせられたが、自由市場のメカニズム的にはむしろ経済をまわすという意味では役に立っているのかもしれない。ブックオフの売り上げにかなり貢献している。いわば本のお掃除代行屋さんだ。
しかしバーコードを読み取りまくるせどりを見ていて気分は良くない。そこが少し心残りであった。
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『悪霊 上』
メモ
“『私はこういうことに気がついたよ。』スチェパン氏は、ある時こう私にささやいた。『いったいどういうわけで、ああした猛烈な社会主義者や共産主義者が、同時に底の知れないほどけちんぼで、掻き込み屋で、私有論者なんだろう、まったく、社会主義者として深みに入れば入るほど、いよいよ私有論的傾向が激しくなるんだからねぇ……いったどういうわけだろう?やっぱり、例の感傷主義から起こるのだろうかねえ?』” P129
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『人間不平等起源論』
メモ
“これは人間についても言えることだ。群れて暮らすなかで隷従している人間は弱く、臆病で、卑屈になってしまう。” P69
人間の原始時代の思考実験をルソーが行っている。ルソーは家畜と比較しながら、人間も群れることで個々の力は弱くなると書いていた。自己家畜化とつなげて考えてみれば面白いかもしれない。動物は飼いならされると野性的な力が衰え、次第に従順になっていく。たしかに実験でそれは事実として論文で提出されている。
しかし、自己家畜化仮説が仮に正しかったとすれば、むしろ群れることのほうがメリットが大きいことになる。
群れる人間は弱いと人はよく言うが、深いところで実はそうではないのかもしれない。
人間が団結することができるのは、裏をかえせばそれは人間本能の本質は群れることにあるのだから、とすら思えてくる。
ルソーが理想主義者だとか、無能(?)だとかいろいろ言われているので(ゲーテは『ゲーテとの対話』でゲーテがルソーを批判している会話が収録されている)、自分は逆にルソーの良い面と批判の両方を再度衝突させて検証してみたい。
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『ヘイトスピーチの何が問題なのか: 言語哲学と法哲学の観点から』
ジョナサン・ハイトを読み終わってから、感情と哲学を結びつけて考えることは重要だと思い、また、仕事においてもコミュニケーションの言葉というものはかなり大事だと思われるのでいろいろと考えるためにいろいろな本を読むことにした。
マイクロアグレッションについて読んでみると、ニーチェ「世の中に存在するのは事実ではなく、解釈だけである」という言葉が現実味を増しているように感じた。
「臭いのはだいたいおっさんでしょ」というのが「事実」かどうか。
厳密に論理学的に考えれば、これは命題にすら成り得ないのかもしれないが、「事実」という言葉をめぐって人は古今東西、対立をしているようにも見える。
いまだに、何が事実で何がそうではないのかをめぐって終わりのない小競り合いがネットでつづいている。
その根本にはやはり感情が理性を支配しているというヒュームの原理が働いているのかもしれない。
「解釈」を深堀してみると、そんな状況を俯瞰できるようになるので、ネットの言説と適切な距離を取れるだろうと思うに至る。