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日記
2,3時間くらい読んでから少々考える時間を設けた。
人生いかに生きるか、ということを問うのはおよそ無意味で、その他に考えることは数多にある。
数学で公理を決めることがその後の定理、法則、理論において決定的に重要だということと同じで、価値についても、最初に公理を決め、そこから出発していかなければいつまでたっても考えはまとまらず、不安的なものとなる。
池田晶子は誰が考えてもそうとしかならないこと、それを徹底的に考え、煮詰め、言語化し本としてある程度体系化した。
自分はそこまでできる自信はないが、「自分がどう考えてもそうとしかならない」ということを見つけるのは誰にでもできる。天才ではない限りそちらを考えるべきだ。
あれこれ本を読み過ぎて誰の言葉かは忘れたが非常に印象的な文を覚えている。たしかトマス・ネーゲルの言葉だったと記憶している。
人は目的を達成するために手段を選び、手段によって目的へと達成する。
(アリストテレス的にはその「過程」が「善」であるというのは大学時代に自分は学習した。)
数学的には、人生は誕生を始点とすれば終点である死までの一直線と捉えることができる。しかしこれはあまりに単純化し過ぎてる。
人生においては、常にある目的へ向かい、また別の目的へと移行する。つまり直線ではなく、直線の「束」のようなものである。
だから価値というものはひとつひとつの直線に内在し、結果が価値を規定するというふうにはならない、というのがネーゲルの言葉であった。
これが岡本太郎の考えと類似していて、だからこそその瞬間瞬間が決定的に人生にとっては重要で、自分はこの点において人生を投資的な考えで捉える思考を退けたい。
そうではないということである。これが自分の公理だと、書いていて思い始める。
『生きがいについて (神谷美恵子コレクション)』
メモ
“少し心をしずめ、心の眼をくもらせている習俗や実利的配慮のちりを払いさえすれば、私たちをとりまく自然界も人間界もたちまちその相貌を変え、めずらしいものをたくさんみせてくれる。” P60-61
“生活のしかた、ことばの使いかた、発想のしかたまでマスコミの力で画一化されつつある現代の文明社会では、皆が習俗に埋没し、流されて行くおそれが多分にある。” P60
ミルトンと使命感について書かれていた。
執行草舟氏はミルトンについて本でその偉大さを讃えていた。
神谷美恵子によれば、使命の貫徹のためには他人から何を言われてもかまわないという決意があったという。
“(・・・)彼は詩人という天職の高貴な意義をアリストテレスにまでさかのぼって説き明かし、この仕事に従事するためには、どんなに他人から非難されようともかまわないと述べ、その仮想敵にむかって次のような烈しいことばを投げつけている。「いまわしきやからよ、君らは私を損いうる力はない。私は君らの管轄の下にはない。わずらいなき心で、私は君らの邪悪なる打撃をはるかに高く超えたところを歩むであろう。」” P44
・・・
神谷美恵子によれば、人間が単調な生活で退屈を感じるのは精神的に健康な証であるという。むしろ、異常をきたせば、単調な生活でも全くなにも感じないのだという。
“生活に変化がなくなると人間は退屈する。それは精神が健康である証拠なのであって、心が病むと退屈は感じられなくなることが多い。” P59
パスカルは自分の部屋にいられないことが不幸の源であると言っていたが、このことについて今一度考えたいと思うにいたる。
エミリー・ブロンテは家に閉じ込められたような生活を送っていたが、『嵐が丘』のような偉大な作品を世に出していることから、心の豊かさは環境ではなく、むしろ人生に対する態度・覚悟によって決まるのではないかということを考えさせられた。