閉じる

新・読書日記211(読書日記1551)

マキアヴェリ『君主論』中公文庫(2018)

バーリン『マキアヴェッリの独創性 他三篇』岩波文庫(2022)

プラトン『ゴルギアス』光文社古典新訳文庫(2022)

石井千湖『積ん読の本』主婦と生活社(2024)

松岡正剛『千夜千冊エディション 観念と革命 西の世界観II』角川ソフィア文庫(2019)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■株式会社中央公論新社

公式HP:https://www.chuko.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/chuko_bunko?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社岩波書店

公式HP:https://www.iwanami.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/Iwanamishoten?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eautho

■株式会社光文社

公式HP:https://www.kobunsha.com/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/kobunsha_cs?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社主婦と生活社

公式HP:https://www.shufu.co.jp/

公式X:https://x.com/shufusei_hanbai?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社KADOKAWA

公式HP(文庫):https://kadobun.jp/special/gakugei/#offcanvas

公式X(角川ソフィア文庫)(旧 Twitter):https://twitter.com/kadokawagakugei?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日記

今日は古典に浸る一日だったように思う。

本というものはその時代に受け入れられる度合いに応じて、その度合いが高ければ高いほど時代遅れになっていく。

プラトンが何故残ったのか。やはり大いなる謎である。というのも、今ではプラトンの偉大さを認めはしても、プラトンを「時代遅れ」とみなして批判する人が多いからである。

その言説は現代には確かに受け入れられている。しかし、やはり現代に受け入れられる度合いが高いほど、その言説は普遍的ではなく一時的なものであって、本人がいうようにまさに「相対的(=プラトンの絶対性の対極にある)」であるがゆえに淘汰されていくものなのではないだろうか。

なのでプラトンを批判する人間の言説は往々にして普遍性がないとみなしていいのではないか。

  

・・・

『ゴルギアス』を久しぶりに読んだ。

前回読んだときにはゴルギアスを論駁したところで読むのをやめてしまった。

今回はいっきに100項まで読み進め、その先を読んでみた。

プラトンの定義する「技術」と「追従」が卓説していたのでここに書き残しておきたい。

  

■技術

⇒理論の力によって対象の善を目指す

■追従

⇒理論を欠いた熟練によって快の提供を目指す

  

プラトンは弁論術を「司法術」の模倣版とみなし、弁論術の目的は善ではなく快だとした。

このあたりは前回に読み込めなかったので新しい発見であった。

ポロスが「弁論術とは何でしょうか?」と言うと、ソクラテスは「技術なんかではないと思っているよ」と答えた。

弁論術は大衆(何も知らない人)をうまく丸め込んで騙す術だということである。

不正行為を弁論術は厭わないのでソクラテスはゴルギアスの欺瞞を見抜いた。

本書はプラトンのひとつの代表作とされ、議論はかなりレベルの高いものに思える。

  

・・・

『積ん読の本』では山本貴光氏の本棚を見ることが出来た。想像以上に膨大な書物に溢れていた。

自分もそこそこ積んでいるが、山本氏の1/4にも及ばないのではないかと思えた。

「(最後まで読んだのは)二割くらいじゃないでしょうか」と語る。

背表紙が積読の醍醐味であるという見解が自分の意見と一致していてある種の安心を覚えた。

山本氏も自炊(スキャン)しているらしく、しかしどんな本があるかがすぐには分からないという欠点も理解している。自分も自炊の欠点はそこにしかないと思っていて、デジタル派は木をみて森を見ずだと自分は思った。

  

・・・

バーリンは、マキアヴェッリほど研究の対象となった思想家はいないと語っていた。

また、マキアッヴェリほど賛否両論に分かれるという思想家もいないと語っていた。

君主論は翻訳者が優秀なのか、思った以上に読み易い。

これを機に歴史書にも向かえると知識の幅、興味の対象が広がっていきそうである。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free