
菅原寧格『価値相対主義問題とは何か』信山社(2022)
バーリン『マキアヴェッリの独創性』岩波文庫(2022)
プラトン『テアイテトス』光文社古典新訳文庫(2019)
アマルティア・セン『アマルティア・セン講義 経済学と倫理学』ちくま学芸文庫(2016)
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■株式会社岩波書店
公式HP:https://www.iwanami.co.jp/
公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/Iwanamishoten?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eautho
■信山社出版株式会社
公式HP:https://www.shinzansha.co.jp/?srsltid=AfmBOoq9ycolILFwX_b2xfQch1-mfq3e9z8A3bfHds-xPlGr14ApFeqk
公式X:不明
■株式会社光文社
公式HP:https://www.kobunsha.com/
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■株式会社筑摩書房
公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/
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日記
自分は、昨日Xのほうでグレシャムの法則をもじって「悪書は良書を駆逐する」とツイートした。
売れる本が本屋に置かれ、売れない本は本屋に置かれない。
結果として何が起きているか。
魂の抜けたような本ばかりが店頭に並んでいる。
当たり前である。売れないから置かれないのは経営人としては普通の判断である。
「売れる本が良書だ」という主張をする人間が仮にこのブログを見ているとして、それについて言いたいことはただひとつ。
「売れる本が良書だ」という主張をする人間が仮にこのブログを見ているとして、それについて言いたいことはただひとつ。「その本が10年後、50年後、100年後に読み継がれる可能性はどれくらいあるか?」である。
魂のこもった本は300年、500年、1000年以上読み継がれている。
ホメロス、プラトン、アリストテレス、セルバンテス、ダンテ、マキアヴェッリ、聖書、その他もろもろ。
本屋には限られたスペースしかない。
しかしビジネスマンや大学生が暇つぶしのために読むような本が沢山並べられているせいで魂の抜けたような本ばかりが実際に限られたスペースを占領しているではないか。
だから池袋のジュンク堂まで行って本を買うのである。
これが「悪書は良書を駆逐する」以外の何であろうか。
・・・
『マキアヴェッリの独創性』
メモ
“私はもう一度強調したいのは彼が明白にはキリスト教道徳を弾劾していないという点である。彼が述べたのは唯一つ、少なくとも支配者の場合(ある程度は臣民の場合においても)この道徳はマキアヴェッリが当然と考え、それを追い求めるのは人間にとって賢いと考えているこれらの社会的目的とは両立しないという点である。” P49
バーリンによれば、スピノザ、ホッブズ、その他一八世紀の哲学者はこの道徳につうて「再定義」の必要性を認識していたという。その点でマキアヴェッリとの袂を分かつ。
テアイテトスは1時間かけて150項くらいまで読み進めたが、いっこうに議論が進まずさすがに気力が無くなってしまった。
明日以降地道に読み進めていきたい。
つづく