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新・読書日記330(読書日記1670)

  

■株式会社光文社

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日記

急にメルカリの売れ行きが悪くなってしまい、本棚もいよいよ硬直化が始まったのかと思っていた矢先、奇跡的に2件ほど売れた。感謝しかない。しかしこれからどうするべきだろうか。

そんなことをぼんやり考えていると、これが何かに似ていることに気が付いた。

思えば、最初メルカリを始めたころは、本はゴミ同然で、定価の30パーセントで売れれば奇跡だと思っていた。

ブックオフで売るくらいなら、まあメルカリのほうが若干マシだなと踏んでいた。

しかしながら、定価の50~80パーセントくらいで売れると分かった時は衝撃だった。これが何かに似ている。

婚活で自分が想像以上に売れると分かった女性の物語に似ていた。

その本では、あまりに自分が売れるのでどんどん自己肯定感、自己評価が高まっていき、日々目が肥えていく様が語られていた。

気が付いた時は誰も相手にされなくなり、売れなくなり、全てが終わってしまう。そんな先の光景がありありと浮かんでしまった。そろそろメルカリも潮時なのだろうか。

妥協すればよいという考えがある。つまり、今一度本の出品価格を見直すということ。

最初の頃のようにどんどんまわしていく。不要なものはさっさと市場にまわしていく。

しかし、そもそもなんで今自分はメルカリを続けているのか。ちょっと考えたいと思った日曜日であった。

  

・・・

『永遠の三島由紀夫』

“私には、これらの不条理を愛する心がなければ、三島文学は言うに及ばず、ほとんどの「大文学」は理解することができないのではないかと思えるのです。” P43

  

(三島由紀夫の言葉)

“「自由とは、苦しみ続けられる人だけに与えられる恩寵なのだ」” P45

  

(パトリック・ヘンリーの言葉)

“「自由か、しからずんば死か」” P44

  

三島由紀夫が文学をとおして人々に問いかけを行っていたこと、そしてそれが全く無意味だと分かった時の苦悩が伝わってくる読書時間であった。

・・・

『花のノートルダム』

“この物語を書いている私にとって、何が問題なのか?私の人生を再現し、その流れをさかのぼり、わずかな不足のせいで私がなれなかった存在になれるという悦楽でこの独房をみたし、地下の天国の複雑な罠が張りめぐらされた仕切り壁のなかで彷徨っていた時間を取りもどし、暗い穴に身を投げるように、その人生の時間のなかにもぐりこむことだ。” P43

  

・・・

『眠られぬ夜のために』

“われわれは完全に健康でなければ、立派な仕事はできない、だからなによりもまず、健康でなければならぬ、という見解を信じ込んではいけない。これは今日、多くの良い人びとの迷信となっている。ひと昔前には、ある種の病弱を天才のしるしと見なし、頑丈な健康をかえって「凡庸」のせいだと考えたが、現代では、逆に肉体のことをあまりに気にしすぎる。病弱はすこしも善い事を行う妨げとはならない。これまで最も偉大な仕事をなしとげたのは、むしろ病弱者であった。それに、完全な健康をもっていると、必ずとはいわないが、精神的感受性の繊細さを欠くようになることが実際少なくない。(・・・)たんに「健康を守るためにのみ生きる」という考え方は、教養ある人にふさわしくないものだと思うがよい。” P90

  

“真理と永遠の生命とに至る道は、今日では、唯物論と迷信という二つの死の淵の間をぬける、きわめて狭い、しかしなお歩くことのできる小道である。(・・・)カントのような力づよい唯理主義も、ただ初めの内だけ、つまりそれらの思想が一般に現代の現実主義に対抗して理想主義に導いてくれるかぎりにおいてしか、役立たない。” P94

  

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