こちらを読み終えた。
デリダ『法の力』をまとめ、感想を書いて終わりにしたい。
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デリダはレヴィナスの正義観を踏まえてこう語る。
(正義とは) “「無限であり、計算不可能であり、規則に反抗し、対称性とは無縁であり、不均質であり、異なる方向性をもったもの」”。P263
デリダは法と正義を対照性のある概念とみなした。
法は人によって規定され、規定された通りに使用されるものであるが、正義は「規定されるが、規定を否定するもの」であるとする。
また、ベンヤミンが指摘したように、法には暴力が潜む。
正義は暴力を否定する。
ここに対照性を見出す。
例として裁判を挙げる。
裁判官は法に従いつつも、法というプログラム通り、機械的に動くわけではない。
裁きを行うためには、規定に従いつつも、同時に規定なしには成立しないとデリダは考える。
正義は法の外にあり、法の彼方にある。
また、デリダは正義と切迫性について考察する。
あらゆる判断には、完璧な考察を経ていない限りにおいては正義とは言えないとする。
従って、時間の制約を常に受ける裁判においては、正義(=決断)の不可能性が存在すると言える。
そしてデリダは、正義は贈与と同じ性格を持つと考える。
贈与が真の意味で贈与であるためには、いかなる等価交換であってはならない。
”正義の理念は、「交換することなしに贈与せよと要求するのである」ことなのである。”P269
真の贈与であるためには、理性を欠いた贈与、計算を伴った規則でない贈与、経済循環を発生させない贈与、承認を伴わない贈与、すならち理論的で合理性の欠いた贈与でなければならない。
それと同じように、正義も究極的には「理念を欠いた贈与」のようなものであるとした。
やや急ぎ足となったが、以上で本書のまとめとしたい。
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感想
正義に関する本は数多にあり、その内容を広く浅く理解するにも膨大な時間がかかると思われるなかで、本書は非常に整理されていて横断的かつ短時間に学べるものであった。
部分的には難しい内容もあり (ベンヤミンやレヴィナスなど) 、苦戦したものの、この本を一生懸命読んで要約できたことにまず喜びと、達成感を感じている。
まずは、正義が多元的であることをこの本から学びとることができた。
最後のデリダがそれを決定付けたようにもみえる。
正義が記述不可能であることは、人間が記述不可能であるということと重なっているようにもみえる。
まずはその背景を頭の隅に置いたうえで、今後正義に関して論じる際には複眼的、かつ多角的な意見を提出できるようになりたいと思った。
つづく
公開日2022-01-27