■株式会社実業之日本社
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つづきをよみおえた。
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感想
著者は利他の精神を説く。
著者は、「忍ぶ」ということは、ただ耐えるだけではなく、自身の命を懸けて他者のためになにかを行うことであると話す。
この美学が三島由紀夫と貫徹する。
三島由紀夫が自決した理由については個人的に消化できず沈殿物となっていたが、著者は三島由紀夫本人と直接会話を交わした経験も踏まえながら語った。
人間の精神性(=魂)というものを絶対な存在として位置付け、それを三島由紀夫は絶えず文学に反映していた、と語ったことである程度腑に落ちるものがあった。
・・・
本書は『デカルトからベイトソンへ』で提起された問題のひとつの答えとして提出できるものだと思われる。
哲学的に言うならば、唯物論へのアンチテーゼである。
岡本太郎が縄文土器と弥生土器の精神性を比較したように(弥生土器のシンプルさに覇気が無いことが見てとれる。)、著者も弥生時代以降に人間の精神性が低下したとみている点は興味深い。
そのひとつに「安定」、「定住」といった現代に繋がる生活様式の変容があると思われる。
物質を支配しているようで実は物質に精神性を剥奪されているのである。
『善と悪のパラドックス』を思い出す。
人間の家畜化は精神性をも奪っているのではないか。
本書を読んで自分のなかで新しい問いが生み出された。
認識論について考えるのではなく、やはり遠回りする必要がある。
本は一冊では完結し得ない。
あらゆる書物との交差点から見えてくるものがあると改めて思った。
公開日2022/10/10