つづきを読み進めた。
対談という形式のため、話の内容が少しずつ移り行くが時々立ち止まってメモをとり、印象的な話は記憶に残すことにつとめた。
今日読んだ箇所は「同意」に関するテーマである。
ざっくりとまとめると、ビジネスにおける同意とプライベートにおける同意の意味が対照的であるというものであった。
買い物はいちいち「これ買っても良いですか」と同意を求めることはない。カフェでは「ここに座ってもいいですか?」とも言わない。そういった例が恐らく無数にある。ビジネス上では、契約の場面を除いては、あまり同意を積極的にとるという文化は日本にないように思う。
ところがどっこい。
近年、だれが仕掛けたのか、同意をめぐる本や議論がやや活発になっている。
男女間の「同意」がその例のひとつとなっている。
ビジネスでは同意というものがむしろ厄介なものであったが、プライベートにおいてはむしろ重要な位置を占めるようになってきている。
その是非は置いておく。
自分が着目したのは、その背景である。
「「同意」を求めるのは、信頼されていないからでは」という意見があった。
あくまで仮説であるが、現代人はスマホなどの機器によってコミュニケーションが部分的に機能しなくなってきているように思う。
宮台真司『14歳からの社会学』でいう、「行為功利主義」から「規則功利主義」へのシフトである。
なあなあでは済まないからルールをつくる。
なぜルールを作りたがるのだろうか。それはやはり、「他者」が信頼できなくなってきているからだと思う節はある。
傷つくのが怖い、HSPという言葉があったり、昔のように殴り合いの喧嘩も少なく(すぐに警察が止めにいったり、体罰だとか、いろいろうるさい現代である)、日本人が穏やかになってきているように見えるが(昔、殴り合いはいちいち警察が止めにいかなかったと言っている年配の人がいる)、穏やかなのにルールをどんどん作って、不自由になって、家畜になりたいのだろうかとすら思えてくる。
なんだか奇妙な世の中である。
そのひとつの原因として読書離れが考えられる。
ノンフィクションよりフィクションを読んだほうが想像力が高まるという論文があったと本書には書かれている。