ラボ読書梟 (旧 はてなブログ大学文学部)

読書日記182

           池田晶子『私とは何か』講談社 (2009)

  

池田晶子『私とは何か』のつづきと、

ティム・インゴルド『生きていること』のつづきを読む。

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池田氏は、世の飽くなきお金の追求に対して「この百年が勝負」と言う。

今日では「脱成長主義者」と揶揄されることだろう。

成長でしか現状を打破することはできない、と資本主義を援護する側は説く。

  

個人的にはもはやどうでもいい。

資本主義について考えると常に不快感が伴う。

あと50年もすれば平均寿命に辿り着いてしまう。

この問題は寿命100年の次世代が真剣に考えればよい。

  

価値とは何か。

価値とは希少性にある。希少性とは数が少ないこと。なるほど。

では一人一人のブログに刻まれた精神にどれほどの値打ちがあるのだろう。

この僕の文章を人はいくらで買ってくれるのだろう。

否。

考えればすぐに分かる。

  

価値とは「役に立つかどうか」である。

では何をもって「役に立つ」といえるか。

それは「快」の提供であることは否定できない。

快適な暮らしの提供。

快適なサービスの提供。

そこで僕は考える。

  

何故人は飽きるのだろうか。

何故人は快適な状態を維持できないのだろうか。

何故快楽には刹那的な性質を持つのだろうか。

ソクラテスはその答えを出せなかったようにみえる。

  

「善く生きる」とは。

人生が快と苦の反復でしかないのだろうか。

何故人は脳に電極をつけて永遠に快を感じたまま生きることを選ばないのだろうか。

快に浸りつづけるのは「善くない」という真実を先天的に知っているからではないのだろうか。

つづく

公開日2022-03-16

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