ラボ読書梟 (旧 はてなブログ大学文学部)

読書日記239

    ティム・インゴルド『生きていること』左右社 (2021)

つづきを読み進めた。(読書日記182に収録)

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/19/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%9818282/

  

インゴルド氏はレベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』において、「書くことは想像力の地形において道を切り拓くこと、読むことは著者をガイドにしてその地形を旅すること」だと書いていることについて考察する。

僕はそのインゴルドの考察について考察する。

イメージは誰にでもできる。

しかし、そのイメージ通りに絵を描ける人は少ない。

  

また、音楽も同じで、イメージした曲をそのまま作曲できる人は少ない。

僕は過去にこのギャップについて考えたことがある。

仮に、描く技術があればイメージの絵を再現できるだろうか。

もし出来ないのであれば、それはイメージがぼやけていることなのだろうか。

   

フクロウを思い浮かべる。

描く技術がある人はしっかりとフクロウを描けるだろうか。

イメージにも解像度というものが実はあるのではないだろうか。

現代の科学力ではこれを説明するのは難しいだろう。だから考えるのは面白い。

するとどうなるか。

  

やはり物事を書けない人は技術が無いどころか、そもそも何を書こうとしているのかもハッキリしていないのではないだろうか。解像度が低いのではないだろうか。

かくして、「書くこと」も単純ではないことが分かった。

つづく

公開日2022-04-02

次へ 投稿

前へ 投稿

返信する

© 2024 ラボ読書梟 (旧 はてなブログ大学文学部)

テーマの著者 Anders Norén