ラボ読書梟 (旧 はてなブログ大学文学部)

新・読書日記36

ジェニー・オデル『何もしない』ハヤカワ文庫(2023)

■株式会社早川書房

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ルース・アビィ『チャールズ・テイラーの思想』名古屋大学出版会(2019)

■名古屋大学出版会(国立大学法人名古屋大学)

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日記

『何もしない』の再読で、「注意経済」という言葉を今更ながら知ることになった。人々にどれだけ注目をあびることができるか、その多寡によって経済的価値が決まるという、まさにSNSが力をほこる現代的な経済観であった。

しかしながら、この「注意経済」という言葉、どこか物足りなさを感じる。

 

世の中の真理をつく数式はシンプルなものが多い。しかし、人文学に限ってはそうはならず、むしろシンプルであればあるほど中身が空っぽのような気がする。ひとつ例を挙げる。

「絶対的に正しいことなど存在しない」

某著述家の宣言ともとれる発言。

しかし、論理的に矛盾しているのである。

「「絶対的に正しいことなど存在しない」という(私の言葉)は絶対的に正しい」という構造だ。

この論理構造は明らかに矛盾していて、絶対的に正しいことが存在しないことと存在することを同時に認めている。

 

話を「注意経済」に戻す。

つまり言いたいことは、「注意経済」というシンプルで一見分かりやすい表現には、実はあまり意味というものはないということである。

内容がないということではない。自分はさきほど「物足りなさを感じる」と書いた。

 

内容があるからこそ、それをシンプルな単語・熟語で言いかえることが誤りなのである。

言葉が独り歩きしてしまう。

具体的に何が言いたいのかというと、『黙らないための雑記帳』に書いてあったことだが、若年層はテレビを相対的に見ず、CMにもうんざりしている傾向にあるという。

広告もまた「注意経済」のなかのひとつの領域である。

 

自分はこの「注意経済」の本質に「承認欲求」というものが隠れているのではないかとみている。

だから雑な表現になるのかもしれないが、「承認経済」と表すほうがまだマシな気がするのである。

 

・・・

 

ジョルジョ・デ・キリコの言葉が引用されていた。

気になる言葉であったので書き写した。

“われわれの時代が物質主義、実利主義に向かいつつある状況を目の当たりにすると……精神の喜びを追求する人たちが堂々と陽のもとに居場所を求める権利を失う社会が到来するという考えが突飛なものではなくなる。” P12

  

第三次産業が発達し、モノからコトへと産業構造が移行しつつある日本。

しかし不思議なのは、コトによってどれだけ人々が豊かになっているのかが全く不透明なところである。

(日本の幸福度ランキングはいつも低い)

  

小室直樹は、『危機の構造』のなかで、モノが溢れる社会においては、社会的欲望が強まると書いていた。

それを埋め合わせる商品やサービスが充実しているとはとても思えない。

あるにはあるのかもしれないが、貧困層に届いていないのかもしれない。

・・・

『チャールズ・テイラーの思想』

今更ながら「表出主義」という言葉を初めて知った。

これは「語を、思想や感情を構成するものとして捉える考え」だという。

人は新しい言葉や力強い小説に出会ったとき、なにかいつもと違う感覚を覚えることが少なくない。

語彙力や表現力の豊かさは、個人の思想と感情を規定するという考えは、今日の自分にはしっくりときた。

 

チャールズ・テイラーの思想は守備範囲が広すぎて、理解するには膨大な時間がかかると今日は感じた。

ひとつひとつ、じっくりと彼の言葉を吟味し、血肉にしていこうと思う。

つづく

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