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プラトン『プロタゴラス』光文社古典新訳文庫(2010)読了+新・読書日記38

    プラトン『プロタゴラス』光文社古典新訳文庫(2010)

■株式会社光文社

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日記

『プロタゴラス』

メノンも「徳は教えられるか」というテーマだったが、本書もまた「徳は教えられるか」というテーマであった。

メノンよりも『プロタゴラス』のほうがより深いところにまで到達している印象を受けた。

結論から書くと、プロタゴラスは「教えられる」と考えていたが、プロタゴラスの論理ではそうはならなく、逆に「教えられない」と考えていたソクラテスが、対話を通じて論理的に「教えられる」ということを示唆する結果となり、逆説の典型的な劇場の様相を呈する内容となっていた。

 

また、「徳」や「正義」という言葉について、本書は「現代的な意味では使われていない」という訳者の注意についても再度自分なりに吟味した。(斧には斧の徳があり、馬には馬の徳がある、等。徳=有用性)

とすれば、「正義」という言葉も現代で使われている言葉とは定義が違う可能性がある。

どういう意味でプラトンは正義という言葉を使っているのか、そのような知識はさすがに研究所や論文をあたってみなければ分からないかもしれない。

 

・・・

プロタゴラスは「不正をしながら節度のある人はいるとしておこう」と答えた。

節度があるということは、分別を働かせる人だとプロタゴラスが同意したあと、「不正をする際には上手に行うのですか、出鱈目に行うのですか」とプロタゴラスは聞かれ、「上手に」と答え、「よいものは、有益なものですか?」とソクラテスに聞かれ「有益ではなくてもよいものはあるがね」とプロタゴラスは答えた。

ソクラテスの容赦ない理詰めにプロタゴラスは何回も自身の矛盾を突かれていく。

  

世の中に絶対に正しいことはないかもしれないが、絶対に否定できないことはあるのかもしれない。

例えば、定石というものを崩せるか。そう簡単にはいかない。ソクラテスの論理も然り。

そういうものをソクラテスらは真理と呼んでいる訳であるが、これは絵空事なのだろうか。

最後まで読み終えた後、プラトンと池田晶子が残した書物を縦横無尽に読みながら、世の中の盲点をつける思考を研磨したいと思うにいたった。

  

・・・

新・読書日記38

テオドール・W・アドルノ『ミニマ・モラリア 新装版』法政大学出版局(2009)

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日記

松岡正剛『資本主義問題』のなかの「貨幣空間」の書評でアドルノのことが書かれていた。

アドルノは教授資格論文『キルケゴール』のなかで、近代化した社会において、私たちはもはや美と商品の弁証法で止揚していくしかない、といった内容を書いたそうである。アドルノの問題意識はこの点において自分と重なるところを感じたので『ミニマ・モラリア』を再読することにした。

 

「モラルと文体」の章で、アドルノは「難解」と言われることに対してうんざりしている様子が伝わる。

アドルノは「伝達方法にあれこれ言う人間は、伝達内容に対して裏切りを示していることを見破らなければならない」といったことを書いている。

 

分かりやすい本、思いつきで書いたような、簡素な表現で溢れる本。

そういった本が少なくない。

哲学書は「難解だ」と言われ、忌避される。(実際そういう本が多いのは事実であるが)

しかし哲学書のすべてがそうではない。

少なくとも、『ミニマ・モラリア』は難解ではないとは言い切れないが、粘り強く読めば何を批判の対象としているのかくらいは理解できる。

田中美知太郎でさえも、後期のプラトンは読みにくいと言っていたものの、プラトンのすべての本が読みにくいというわけでもない。

 

なぜ哲学書は読みづらいと思われるのか。

それは人々があまりものを考えないからなのか。

少しの間、自分はアドルノの分析に触れていきたい。

つづく


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