つづきを読み進めた。
4月7日にも読み進めたが、書く時間がなかったので二日分の内容をここにアウトプットしたいと思う。
前回は社会ダーウィニズムがいかに的外れであるのかを書いた。
今日は「適者生存」という言葉のトリックについてアウトプットしていきたいと思う。
端的に「適者生存」はトートロジーである。
「生き残ったから私たちは適者(=適者生存者)である」と述べることは、「勝ったのは負けなかったからだ」と言うに等しい。つまり何も言っていないに等しい。
なぜか。
それは前提であって、結論ではないからである。
適者生存であるためには生き残っていることが条件であるが、なぜ生き残ったのかを説明しきれていない。
本書の狙いはそこにあり、焦点は生き残れなかった生物にあてられる。なのでタイトルは「理不尽な進化」ということになっている。
“適者生存(自然淘汰)の原理は、議論の前提になっても、結論にはなりえないのである。” P134
例えば、ある性質A(身長が高い、角がある等でもなんでもいい)だけが残ったとする。
その背景にはA~Zまでの性質があったとして(もっと膨大にあるかもしれない)、Aが何に対して勝ったのかが分からないのである。
その証拠として、現代では数々の古典が残っているが(『ファウスト』、『イリアス』、『エチカ』など)、それが何故残ったのかを説明できる人はおそらくいない。いたとしても推測に過ぎない。
実はこれら以上に優れた作品があったかもしれない。焚書によって消された可能性もあるし、だれにも発見されずにゴミに捨てられてしまったかもしれない。原因は無数に考えられる。
それと同じように、なぜ性質Aが生き残ったのかは、その背景が無数にあるので「同定」が難しい。
“ここでは。形質Aが勝ち抜いて勝利したのだろうということは推測できるものの、その形質Aの勝利という事実そのものが、競争相手を抹殺するとともに、どんな相手とどんな戦いがなされたのかという手がかりを見えなくしているのである。” P158
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この適応主義をめぐって、過去に論争が勃発したのだという。
リチャード・ドーキンスやダニエル・デネットなど、そうそうたる名前が並んでいた。
第三章ではこの論争の内容について書かれているが、まだあまり理解が進んでいないので後日書いていきたい。
200ページくらい読んで思ったのは、本書が文庫化された理由に納得がいった。
非常に簡潔な文章のおかげで、無駄がなくかつ分かりやすく展開が進んでいく構成力を本書は持っている。
優れた本は人を楽しませるということを教えられた気がする。
本書のサブタイトルが「遺伝子と運のあいだ」となっていることに注目したい。
自分はマイケル・サンデル『実力も運のうち』、小坂井晶敏氏の著書数冊、その他自由意志に関する本をいくつか読んできたが、「理不尽」には複数の意味があると思えてきた。
・努力次第で運は関係ないという決めつけ
・確率的な理不尽(環境の不平等から生まれていく理不尽な格差)
後者は社会の理解が進んでいるので問題はないが、前者はまだまだ知見が足りていないためか、まだ努力神話は根強い。真理なのかどうかが分からないので歯がゆい。
ここを自分はしばらく考え続けたい。
つづく